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【映画】『未来のミライ』子供たちが見る世界

※この記事は、映画の内容について若干のネタバレを含みます。ネタバレを好まない方は映画を見た後お読みください。

 

大雨が降ったり、40度近い気温になったり、せわしないですがいかがお過ごしでしょうか?

夏です。夏といえば、細田監督作品です。

すでに、細田監督=夏という印象がついてしまいました。いつからでしょう。

mirai-no-mirai.jp

今年も『未来のミライ』は夏公開。見てきました。

 

 

 

くんちゃんは成長したのか?

出産のため、暫く入院していたおかあさんが帰ってきた。主人公のくんちゃんは始めて見る妹に興味を示し、おかあさんに「仲良くしてね」「守ってあげてね」と言われ、約束する。しかし、おとうさんとおかあさんは「未来」と名付けられた赤ちゃんの育児に追われるため、どうしてもくんちゃんのことを後回しにしてしまいがち。 そんな日々が続いたことで、未来に嫉妬感を覚えたくんちゃんは、動物の形をしたクッキーを未来の顔に並べたり、ほっぺたを引っ張ったり、指で鼻を押したりと未来の顔で遊び、おかあさんから怒られる。その腹いせにオモチャの新幹線で未来の頭を敲くなどして余計に怒られる。疎外感を感じ、家に自分の居場所が無いように感じたくんちゃんは、庭に逃げる。すると、一人の男がくんちゃんに話しかけてきて・・・・

出典:wikipedia

この物語、端的に言うと、過去と未来を通じてくんちゃんが様々なものを見聞きすることで成長していくお話です。

一人っ子として甘やかされて育ってきたくんちゃんが、妹の未来ちゃんの誕生をきっかけに過去や未来のくんちゃん家族と出会い、「未来ちゃんのお兄ちゃん」としての自覚を持っていきます。

この子どもの成長というテーマは、比較的親しみやすいのか、いくつかイメージがわきます。例えば、下記の評論で挙げられている『千と千尋の神隠し』や『となりのトトロ』など…。

realsound.jp

※この評論は視点が面白いので以下で何度か引用します

「子どもは大人の知らないところで大きく成長する」

という共通の理解があるので、知らないところ=不思議な世界、子供にしか訪れない経験として想像を膨らませやすいのかもしれません。

ただ、若干他作品と比べ違和感があるのは、くんちゃんがあまり精神的に成長しているように見えないこと。

他作品では未知の世界に主人公の子供が放り込まれた際、自ら積極的に意思決定をしていくことでより大人になっていくというプロセスを描きます。

しかし、この評論が指摘している通り、本作ではくんちゃんはあくまで受動的に様々な経験を積んでいくだけで何ら精神的に成長するような場面はありません。

成長ってこういうことなのか?と疑問が残ります。

 

細田守が好んで描く「家族愛」と社会性

細田監督が手掛けてきた作品を思い起こすと、「家族愛」がテーマとして重要視されていることがわかります。

サマーウォーズ

おおかみこどもの雨と雪

『バケモノの子』…

初監督作品で、原作のあった『時をかける少女』を除き、すべての作品で"家族の関係"が中心テーマです。

また、その関係性も、家族全体(サマーウォーズ)⇒母と子(おおかみこどもの雨と雪)⇒(父と子)とミクロの焦点は異なっており、今回は兄と妹でした。

 また、細田監督が描く"家族"は、いわゆる「お父さんとお母さんがいて子供がいる」という集団だけでない点は、この多様化の社会を考えるうえでよい視点だと思います。

サマーウォーズ』では、今では見ることのないほどの大家族を描き、『おおかみこどもの雨と雪』では母子家庭でした。『バケモノの子』は、父子家庭であり、かつ、血のつながらない親子でもあります。

そういった意味では、『未来のミライ』が最も私たちがイメージする"家族"に近いかもしれません。しかし、ここにも今の世を反映する描写があります。

それは、

主夫家庭

である(となりつつある)こと。

お父さんは建築士であり、働いていないわけではないですが、未来ちゃんの誕生に合わせ自宅での勤務と家事の両立を開始しています。そして、お母さんは、未来ちゃんを出産するとすぐさま会社に復帰。

 

我々の一般的なイメージでいくと、まだまだ「奥さんが産休を取って、旦那さんは働き続ける」という家庭像を想像します。建築士という仕事柄という面もありますが、今の世の中の移り変わりを反映しつつあるように思います。

 

奥寺脚本か、細田脚本か

細田監督の作品は昔のほうがよかった」

「いや最近の作品が好きだ」

この問題は賛否両論、それこそきのこたけのこ戦争並みに分かれそうです。

その問題の根本は、下記の点にあると思われます。

 『おおかみこどもの雨と雪』までは、ある程度メインで奥寺佐渡子さんが脚本担当を行っており、『バケモノの子』以降は細田監督が脚本の大部分も手掛けるようになったのです。

つまり、議論が割れるのは、奥寺脚本が好きか?細田脚本が好きか?という議論によるところが大きいものと推測できます。

前掲の批評では、細田監督単独での脚本力について疑義が呈されています。

引用すると、

思えば、細田監督の非凡さというのは、既存のアニメーションの常識を打ち壊すような描写の面白さにあったはずだ。きわめて商業的な内容で、テクノロジーを主要な要素とするはずの『デジモンアドベンチャー』に、生活のリアリティや、暴力のおそろしさを植え付けようとするなど、ある意味でジャンルを否定するような反逆的描写にこそ、パンキッシュな快感が存在していたはずだ。そこには「アニメをなめるな!」という迫力があった。しかし、監督自身が次第に作品世界を一から構築し始めたことで、カウンター精神や勢いは徐々に失われてきたように感じられる。

出典:Real Sound

あくまでも斬新な描写や表現のアイディアに特徴があったはずの監督が、0からストーリーを構築し始めた結果、描写の目新しさや鮮烈さが失われてしまったということのようです。

私自身は、『時をかける少女』が圧倒的に大好きなため、おそらく奥寺脚本にハマったのでしょう。

 やはり、また2人体制に戻してくれないだろうか…

 

まとめ:なぜなのかは語られない。それは子供の世界だから?

 映画の鑑賞後、もっともフラストレーションだったのは、

「あらゆる事象がなぜなのか説明されない」

という丸投げ状態で終了することなんですが、下記の記事をあえてそういう映画になっているのかと腑に落ちます。

style.nikkei.com

実はうちの子が、『夢で大きな妹に会ったよ』と言う話をしたんです。大きな妹って何かと思ってよく聞いてみたら、成長した妹だって言うんです。『お! これはなかなかいいことを言うじゃないか!』と(笑)。これが10歳児だと、大人と同じような常識があるから『なぜ? どうしてそういうことが?』みたいになるし、我々大人は、常識を乗り越えるのにたくさんのプロセスが必要。でも、4歳児の世界ならそんなことをすっ飛ばして本質にガッと迫れる。そういうエンタテインメントって、他にはなかなかないと思うんです。

出典:NIKKEI STYLE

子どもたちにとって意味なんてどうでもいいわけで、意味を超えたところでその事象の本質をつかんでいると。

子どもの世界、子どもの目を通した経験だからこそ、なぜなのかは語られない、語らない。

映画を見て「全然意味わかんねぇ」と思われた方は、おそらく大人の視点に囚われています。

子どもの視点で、真っ白な目で見たとき、どのような世界が見えてくるのか?そこでどのような学びを得るのか?

 

子どもたちだけにしか経験できない世界という意味では、『トトロ』や『千と千尋の神隠し』で描こうとした世界とも何か通じるものがあるかもしれません。