最後にこれだけは言わせて欲しい

ダラダラ出来なくなった金融マンの遺言

働くということの話

 

働くということの話。

上を見ればいくらでも上はいるわけだけれども、無駄遣いをしなければまあ自分一人は食うに困らないぐらいにはお給料を貰えるようになってきました。

その代わりにそれなりの時間を労働に費やしています。

 

そうしてみてふと思うのは、「なぜ働くのか?」ということです。

当たり前の如く、まずそれは給料のためなのですが、これと同時に「仮に宝くじが当たって手元に10億あったらどうか」とも考えます。

おそらく働くのでしょう。当初は遊んで暮らすかもしれないですが1年もせずに飽きるでしょうね。

では、既に自分の中では労働そのものが目的化しているということになります。そうした時にさらに思うのは、「この仕事をする意味はなにか?」ということです。

仕事の意味など到底すぐさま見出せるわけもなく、「働き続けるこの生活になんの意味があるのか?なにを目的に生きているのか?」と答えのない暗所に落ちていきます。

こんな話を学生時代の友人にしたら、「生きることに目的なんてない。そういうのは中学生で卒業するもんだ」と一蹴されてしましたとさ。

 

そういう青臭い悩みから抜け出せないという話。

 

知らないことへの向き合い方

仕事というものは、よほど定型化された業務でない限り未知の連続だと思っています。

だからこそ、未知の事象に遭遇した際の向き合い方が「仕事ができる」とされる上で非常に重要ではないでしょうか。

 

この未知の事象への向き合い方は大きく2つに分かれます。

分からないとそのまま放置するか、分からないなりに答えを探しに行くか。

 

「分からない」ことを乗り越えていくためには、いかに「分かること」に分解していくかが重要です。

一見して「分からない事象」も、細かく論点を分割していくと、理解可能な論点、取り組み可能なタスクが見えてくるものです。

手の付けようがないタスクが残っても、実は、ほかの事例と比較すると手掛かりが見えてきます。仮説をたて実際に作業し、失敗すれば改善すればよいだけのこと。

 

文章に書いてみると当たり前のことなのですが、実際にできる人は意外に少ないというのが仕事を通じての印象です。ほとんどの人が指示待ちであり、期限の決まった具体的なタスク以外は処理できません。

 

しかし、付加価値の高い面白い仕事ほど、誰もが正解を知らない「分からないこと」であり、それを達成するための明確な期限もなければルールも存在しません。

知識やスキルも重要ではありますが、そもそもこういう物事へのスタンス、好奇心を持てるかと言ったところで大きな差が生まれるように思います。

 

漠然としている問題ですが、大事なことなので備忘として。