最近、岡田斗司夫氏(以下、「岡田氏」)の著作をいくつか読んでいますが、随所に『評価経済』という考え方が出て来ます。
この考え方は、SNSの隆盛に伴って徐々にいろいろなところで語られるようになっているようなので、改めて考えてみたいと思います。
『評価経済』とは何か?
' 貨幣経済社会とは 、社会の構成員が 、その最大の貨幣的利益に向かって邁進することによって安定する 『動的安定社会 』である 。それと同じく 、評価経済社会とは 、社会の構成員が 、その最大の評価的利益に向かって邁進することによって安定する 『動的安定社会 』である'
'情報を受け取った側は 、 「情報 」だけでなく 「価値観 」も同時に受け取って 、影響を受ける 。その結果 、 「受けた側 」は 「与えた側 」を評価します 。 「評価 」と 「影響 」をお互いに交換しあう社会 。これを 、私は 「評価経済社会 」と名付けました 。'
出典:岡田斗司夫 FREEex 『評価経済社会・電子版プラス』
『評価経済』は、インターネット、特にSNSの発展で「他者からの評価」を「経済的価値」に交換できる社会を指している。
'貨幣経済社会とは 、貨幣を仲介にして 「モノ 」 「サービス 」が交換される社会です 。同じように 「評価 」を仲介として 「モノ 」 「サービス 」 、そして 「カネ 」すらも交換される社会 。それがこれからの社会であり 、いま私たちの足下で起きている社会変化のポイントなのです 。'
岡田氏曰く、「お金は不要になるわけではなく、お金をも評価と交換に取引する時代になる」とのことです。貨幣を中心とする『貨幣経済』から『評価経済』へ。
各人の社会的評価を数値化し、それを交換価値とする社会は訪れるのでしょうか?
そもそも、『貨幣』とは何か?
『貨幣』に必要な要素は主に3つ。
- 価値の尺度
- 交換手段
- 価値貯蔵手段
"価値の尺度"は、「商品の値段、価値を示す機能」を指します。
たとえば、缶ジュース=120円、ポテトチップス=100円というように、市場で流通する商品には貨幣を用いた値段が表示されます。この値段を各々が認識することで、その商品の価値を共有することができます。
"交換手段"は、「対価としての支払機能」を指します。
物々交換では、等価値のもので、かつ、お互いが求めているものでなければ交換が成立しません。
貨幣を間に媒介することにより、自分が保有する不要なものを貨幣にして好きな品物と好感がしやすくなります。
"価値貯蔵手段"は「価値の保存・維持手段としての機能」を指します。
モノの場合、たとえば食べ物だと交換相手を探索している間に腐ってしまうなど価値が毀損する可能性があります。貨幣の場合は、材質が金属(紙幣の場合は紙)であり摩耗・腐食しにくく、そもそも利用価値に依拠していない(他の商品に交換することのみを期待されている)ことからも、一旦価値を保存するために適しています。
評価経済モデル
『評価経済』とはつまり交換経済の一派生系としての評価中心的概念のことでしょう。
『評価経済』のコンセプトは非常に興味深く思います。
貨幣が流通しきる前には、「商品のうち誰にとっても利用価値が高く価値保存が可能なもの」が交換の媒介物として流通していました。
例えば、塩や砂糖、日本では米もその対象でした。
貨幣も流通の端緒は、金や銀など利用価値の高い貴金属から始まり、現在ではものと交換できるという"信用"に基づき流通しています。
いうなれば、これは貨幣に与えられた(もしくはそれらを発行する中央政府がもつ)信用力に他なりません。現在は、さらに発展し、ブロックチェーンによる相互認証をもとにした仮想通貨に至っています。
評価経済のモデルは、
評価=交換価値⇔商品・貨幣
が成立するということです。
個人の評価に交換価値(将来的な結果に対する期待)が備わり、商品や貨幣と交換できるようになればこのモデルが成り立ちます。
個人の"評価"と"信用"
ただ、「評価が経済の中心になる」という世界は、実現に相当のハードルがあるのではないでしょうか?
その最も大きな理由は、ファイナンスに例えると個人の評価はエクイティ的、信用はデット的だと思うからです。
個人への評価は、「何かやってくれそうだ」という期待感を原動力に動いています。
これは信用(結果の確からしさ)と異なり、その確度ははっきりとしていませんが大きなリターンを生む可能性への期待を含んでいます。
先述の通り、貨幣が通用しているのは、それが商品と交換できるという”信用”に基づくからです。個人の評価のようなボラティリティの高いものとは相性が良くありません。
評価経済とクラウドファンディング、VALU
上記の通り、貨幣経済の代替としての『評価経済』には、まだまだハードルがあると思います。
しかしこれは評価が経済的な価値に繋がらないということと同義ではありません。
"評価=交換価値⇔商品・貨幣"は難しいかもしれませんが、"評価⇒貨幣=交換価値⇔商品"は、実現しつつあるでしょう。
その最も顕著な例は、「クラウドファンディング」と「VALU」だと思います。
クラウドファンディングは個人や小規模の団体が特定のプロジェクトに共感した場合に資金供与するプラットホームです。
共感という点で、まさにプロジェクトや実行者を評価することになります。
※金融商品として、金銭的リターンを重視した投資型のクラウドファンディングも多くあります。貸付型を運営するロードスターキャピタルの上場については、また別途記事を書きたいです。
VALUは金融商品(実際は違いますが)のように個人の価値を流通させることができるという画期的なサービスとして話題になりました。
※2022年現在すでにサービス及び事業を終了
クラウドファンディングとVALUは新たな資金の流れの中で比較のできないものではあります。ただ、あえてここでは「評価を利用した金融」という視点で2つを比較してみたいと思います。
2つを比較した場合に最も異なるのは、「何を評価するのか?」です。
クラウドファンディングの場合、「誰がやるのか?(人物)」に加え「何をやるのか?(プロジェクト)」を評価します。プロジェクトの内容に共感した人々が資金供与するということになります。
VALUは、「なにをやってきた人か?(人物)」にすべてが収斂されます。プロジェクトの評価ではなく、人物の過去のトラックレコード/今後の活動への評価です。
クラウドファンディングでは、人物評価は副次的(プロジェクトがうまくいくかどうか判断するための要素の一つ)であるのに対し、VALUではそもそも人物評価に終始します。
また、HPから見ていただくとわかりますが、連携したFacebookやTwitterなどのSNSにおける友達の多さが当初付与されるVAの量に影響するなど、まさに岡田氏が予想していた世界観に近いスキームとなっています。
VALUの問題点
VALUについては、上記の通り"金融商品のような"と表現しました。
VALUERに付与されたVAは、VALUユーザー内で流通させることができ、需給によって価格は変動します。また、必須ではありませんがVA保有者に優待を付与することもできます。
このような特徴をとらえて、VALUというサービスは「個人が発行する株式を売買するもの」と認識されている面があります。実際、規約では禁止されているようですが投機マネーも流入しているようです。
特に、某ユーチューバーによるVA売り逃げ事件は相当な話題となりました。
事前にTwitter等で「優待を付す」と情報が流れようで(結局審議はいまだ不明)、価格が急騰。そこで規約で禁止されたVAの一時点での全放出を行ったことで多くのユーザーが損失を被り、社会的なニュースとなりました。
本件も評価の危うさを改めて感じさせます。
評価が経済の中心になるために
これまでの社会は、労働力を貨幣交換の起点とした労働経済社会でした。ここで言う"労働"は特定の組織において規定された行動を遂行することが主な対象です。
そして、労働力も組織から評価されることで貨幣と交換されるという点で、評価経済の一種であったとも言えます。
しかし、労働経済社会では、個人で行う活動は"労働"と定義されにくい=貨幣交換の対象となりにくい状態でした。個人の活動の場合、労働の対価である貨幣を支払う主体が多くなかったため、経済社会から取り残されていたとも言えます。
評価経済社会は、必ずしも現行社会システムと対立するものではなく、より広範に経済活動に取り込むモデルです。
評価経済社会が浸透する素地となっているのは、間違いなくインターネット、特にSNSの普及です。
個人の活動が貨幣交換の対象となってこなかったのは、①個人のトラックレコードを確認する術がなかったこと②評価したとしてもそれらを貨幣に交換するプラットフォームがなかったこと、が大きいと思います。
①についてはまさにSNSが普及し、各個人の考えや行動を発信・記録する方法が当たり前に利用されるようになったことで評価するための材料は誰でも手に入れることができるようになりました。
②については、まさに上述したクラウドファンディングやVALUがそのプラットフォームとして機能しています。
これらのシステムがうまく機能すると、これまでの労働経済では埋没していた個人も経済社会に躍り出る可能性が出てきます。
また、労働力は年齢とともに衰えていくため、貨幣獲得力も衰えていきましたが、個人の評価はむしろ年齢を重ねるごとに上昇する可能性すら秘めていると思います。
ただ、VALUの問題のように、まだまだ評価を利用した経済システムは未完成です。
個人的には、
・詐欺リスク軽減のための入り口でのチェック機能の強化
・資金を集めた人に対する評価(期待)に答えるインセンティブ設計として、一定程度の活動コミットメントを義務付けるルールの整備
は最低限必要になってくると思います。
個人が個人(ないしはプロジェクト)を評価する社会システムになってくると、原則は資金供与者の自己責任となるはずです。
一方で、詐欺や期待していた結果が得られない言う状況が蔓延すると、この評価経済というシステムそのものへの信頼が低下し、普及しない恐れがあります。
最低限として、一定の評価基準を設けることが、システムとしての信頼を得るうえでも重要であると感じます。