最後にこれだけは言わせて欲しい

ダラダラ出来なくなった金融マンの遺言

読書案内:『ニムロッド』に対する感想

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2018年に芥川賞を受賞した『ニムロッド』。

仮想通貨を題材にした小説で純文学賞を受賞するという快挙を成し遂げたということですが、短い小説の中にさまざまなものが詰め込まれていました。

 

第160回芥川賞受賞 ニムロッド

第160回芥川賞受賞 ニムロッド

 

 

1.あらすじ

あらすじは以下の通り。

仮想通貨採掘を任されたIT企業社員と鬱から回復した同僚、IBで世界を駆け回る彼女の3人の間のコミュニケーション。
IT企業でサーバーメンテナンス業務を担う「僕」(中本哲史=ナカモトサトシ)は、ある日社長から”ビットコインの採掘”を命じられる。
無から有を生み出す仮想通貨採掘を興味深く取り組み始めた一方、同僚の荷室からは不可思議なLINEが送られてくる。彼は鬱で仕事を休業後、現在は名古屋オフィスで復帰している。鬱の原因は定かではないが、僕は彼の執筆活動が原因だと考えていた。そんな彼から最近送られてくるのは、”ダメな”飛行機コレクション"。ネットが出典らしいこのシリーズの目的は不明。ただ、僕の彼女である田久保紀子は、この奇妙なLINEやニムロッドという存在にいたく関心を持つ。紀子は、外資系金融機関でFAとして世界中を飛び回る。そんな才色兼備の彼女には過去の離婚歴と堕胎歴がある。今でも、その記憶から睡眠薬が手放せない。
ある日、僕の"感情を伴わない涙"という不思議な現象を通じて、"不完全な"3人が交錯する。

仮想通貨をテーマとして扱っているあたりに時代性を感じます。

こういった作品が純文学として受賞する時代なんですね…

 

 

2.キーワード

本作には様々なキーワードがあります。

 

まずはビットコインに代表される仮想通貨

現在では種々雑多な仮想通貨(今では正式名称は"暗号資産"になりました。)が生まれており、その特徴もずいぶん多岐にわたっています。

とはいえ、その当初のコンセプトは本書でも紹介されている"相互承認"。

政府という中央集権的な信用によらない相互間での合意は、本作の3人の関係性の比喩であるように思います。

要は、誰がいくら保有しているかが書いてあるだけなのだけど、その状態を存在すると皆で合意すればビットコイン確かに存在するということになる。

ビットコインは、台帳へのデータの追記をアルゴリズムに参加したPCの力を借りて行う。無償ではない

出所:『ニムロッド』P.22,23

主要人物は、それぞれが何かしら自身に対して"不完全さ"を抱いています。「僕」は知識のなさや感情を伴わない涙、荷室は小説が認められないジレンマ、紀子は堕胎を決めた過去の決意のトラウマ。それぞれがそれぞれに社会という中央集権的なシステムでは、評価できない現実を抱え、その痛みとともにそれぞれの存在を認め合うことで作中の関係が成り立っています。

 

3者の中で、僕だけは特殊であり、自身の不完全さに対してなんの苦痛も感じていません。自分で自分を認めており、この部分だけ相互承認の輪から外れています。

その点では、僕は存在を認められるべき"採掘者"というよりも、存在が記録されていく"台帳"としての位置づけなのかもしれません。

引用文の通り、仮想通貨では採掘者には相互承認プロセスを担保するためのインセンティブが与えられます。

3者の間では、僕-紀子間でセックスが、僕-荷室間で僕の不思議な体質がその役目を果たしているように思います。

もう1つ、重要なのは"ダメな飛行機"。

ネットを出典として僕宛に送られてくるこのシリーズは、これまで人類の歴史の中で、何らかの不完全さをもって生み出された飛行機を紹介しています。

ここには、荷室の感想が一言ずつ添えられているが、それぞれの飛行機に対し、荷室が自身を重ねていると思しきコメントが見受けられます。

駄目な飛行機があったからこそ、駄目じゃない飛行機が今あるんだね。

でも、もし、駄目な飛行機が造られるまでもなく、駄目じゃない飛行機が造られたのだとしたら、彼らは必要なかったということになるのかな?

ところで今の僕たちは駄目な人間なんだろうか?いつか駄目じゃなくなるんだろうか?

『ニムロッド』P.33

自分たちの不完全さにも意味がある(認められない小説にも書く意義がある)、と自らを納得させる言葉のようです。

 

3.感想

 下の記事によると、本作は「人間が科学技術の発展で"完全性"に向かっていく中でどこまでどこまで人間でいられるのか?」を問うているとのことでした。

gendai.ismedia.jp

その実、本作の登場人物は、何らかの不完全さを内包する人々ばかり。彼らは我々現代人で、不完全が許容される最後の人類ということなのかもしれません。

本作ラストではビットコイン採掘を事業として終了した僕のもとからは、荷室も紀子も消えています。それぞれ、「太陽へ向かう」「東方洋上に去る」という言葉を遺しているが、果たしてどうなったのか?

これもビットコインの採掘というプロセスと同様に、僕から受けられるインセンティブが徐々に低下して最終的に相互承認プロセスから離れたと言えるかもしれません。

上述の通り、荷室は僕の涙を、紀子は僕とのセックスをインセンティブとして、僕という台帳にその存在を記録し続けていました。しかし、3人でのテレビ会議をピークとしてインセンティブが低下し、僕を介した相互承認が不要になったのではないでしょうか。

「太陽へ向かう」「東方洋上に去る」が死を意味するのか、単なる離別を意味するのかは判然としませんが、バベルの塔が完成と同時に崩壊したように、3人の間の依存関係もすべてがつながったと同時にバラバラに散らばっています。

 

科学技術が発展しあらゆるものが便利になっていく中で、人間の能力をも超えた機械が生み出されつつあります。また、SNSが普及したことで、個人が互いに評価しあう評価経済社会が当然のようになってきました。

不完全な人間が、この急速なイノベーションの中で、自分という存在をどこに認めていくのか、便利であるはずの世の中で感じる孤独さを表現した作品です。