最後にこれだけは言わせて欲しい

ダラダラ出来なくなった金融マンの遺言

働くということの話

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働くということの話。

上を見ればいくらでも上はいるわけだけれども、無駄遣いをしなければまあ自分一人は食うに困らないぐらいにはお給料を貰えるようになってきました。

その代わりにそれなりの時間を労働に費やしています。

 

そうしてみてふと思うのは、「なぜ働くのか?」ということです。

当たり前の如く、まずそれは給料のためなのですが、これと同時に「仮に宝くじが当たって手元に10億あったらどうか」とも考えます。

おそらく働くのでしょう。当初は遊んで暮らすかもしれないですが1年もせずに飽きるでしょうね。

では、既に自分の中では労働そのものが目的化しているということになります。そうした時にさらに思うのは、「この仕事をする意味はなにか?」ということです。

仕事の意味など到底すぐさま見出せるわけもなく、「働き続けるこの生活になんの意味があるのか?なにを目的に生きているのか?」と答えのない暗所に落ちていきます。

こんな話を学生時代の友人にしたら、「生きることに目的なんてない。そういうのは中学生で卒業するもんだ」と一蹴されてしましたとさ。

 

そういう青臭い悩みから抜け出せないという話。